本当の幸せは見せびらかすものではない

 


と、思う。


"幸せっぽいけど本当に幸せなのかわからなくて不安"だからだれかに「幸せだね」と言ってもらってはじめて安心するんだろうなあと。私にもそんな時期はあった。というかSNSはそういう不安げな幸せで溢れてるよね。特にインスタグラムとかは。私は部屋にとても素敵な花瓶があるけどそれは誰にも自慢しないよ。写真撮って不特定多数の誰かに見せたりしない。「素敵だから共有したい」と心から思う人だけに見せたいな。デザインの意味も知ってほしい。私の幸せの真髄をよくわからない人に知られてたまるか。大事だからこそ言わないんだ。よく思う、本当に悲しいことは誰にも打ち明けられないのだと。だって自分が本当に悲しいと思っていることをもしも否定されたら、私自身が否定されたみたいな気持ちになってしまう。大事な人やものまで否定されたような。だから、本当に悲しいことの扱いは慎重にしている。誰かに話せたら心が少し晴れるのかもしれないけど、蔑ろにされた時の方が怖い。そんなことを思っているから、なんだかここ数年で孤独になった気がするけど、これが人間本来の状態なんだと思う。人は本来ひとりだ。ネガティブな意味じゃなく。大事な話を友達にしなくなった。迷ってもひとりで決められるようになった。誰とも連絡をとっていないのが当たり前になった。少し前までは誰とも連絡をとっていない彼を見て「寂しい人だ」と思っていたけど、ようやくわかる、大人だったんだ、自立していたんだと。誰かに認めてもらわなくても自分で自分を認めていたんだね。その美学(きっと無意識)を今になって噛み締めているところです。