自己肯定感低すぎワロタ

 


私はこれまで「自己肯定感」という概念を避けてきた。


数年前から「自尊心」とともに聞くようになったこの言葉、なんとなく意味は知っていたけど、調べたり考えたりはしないようにしていた。
なぜなら、どう考えても自分がその「自己肯定感が低い人」に当てはまってしまうから。




だって、自己肯定感が低い人って嫌われるんでしょ?自信がなさそうでナメられるんでしょ。ダサいんでしょ。不幸で可哀想って感じなんでしょ。


自己肯定感に関するネットの記事は、
読まずともそういったことが書いてあることがわかったから読まなかった。
読んだらグサグサくるんだろうなと思ったし、とにかく自分のことだって認めたくなかったんだと思う。




でも、ここ数ヶ月、自分が嫌いで嫌いでしょうがなくて、自分で自分を否定していることに気付かざるを得ない状況になった。
そこで初めて、「自己肯定感」と向き合うようになった。




私は、自分のことが好きなように見せかけて、本当はあまり好きじゃないのかもしれない。というか、好きじゃない。

見た目は好き。でも中身が好きじゃない。






中身のどんなところを好きになれないかというと、この泥水みたいな心。考えが薄汚れていて、いつも自分の利益ばっかり考えている。心のどこかで人を見下している。プライドばっかり高いくせに大した努力ができない。そんな奴が周りにいたら私はその人を嫌うだろうなと思う。だから私は私が嫌いだ。






考えれば考えるほど泥沼で、抜け出せなくなる。体まで重くなる。私はダメな人間だ。






でも昨日、ある本を呼んでいてふと気づいた。
それって普通のことだ。


その本の主人公は、尊いほどに心がきれいで純粋で、こんな風に丁寧に生きれたらいいなと思っていた。しかし、どうやら彼女も嫌いな人を思うときは泥水で心がにごるらしい。簡単に他人の幸せを願ったりすることはできないらしい。



そうだ、それが普通だ。みんな表に出していないだけで心の中は十分にドロドロなんだ。私だけじゃない。当たり前のこと。




むしろ私なんてさ、優しい方じゃん。
目の前に困っている人がいたら他人でも助けようと思うし、取材してるとすぐ感情移入して泣きそうになったりもするし、好きな人たちを喜ばせたい、幸せになってほしいと思う。私の心も柔らかいじゃんね。




自己肯定感ってこういうことかも。
新たなプラスを探すんじゃなくて、現状のマイナスだと思っていることを認める。それ、悪いことじゃないよ、自然なことだから大丈夫だよって。



それに気付いたからってすぐに心が軽くなるわけじゃないけど、まあゆっくりね。20代は葛藤の連続なんだ。ただひとつ、うーん悩むことがある。この苦しさは変わろうとしてる証拠なのかなーと……これは今度書こっと。