備忘録。さいとうさんの話

 


世の中大変なことになっちゃったけど、
さいとうさんは、どうしてるかな。




さいとうさんと出会ったのは去年の夏。
ここ数年で最大規模の台風が来るそうで、
家の近くの小学校に避難したときのこと。



私はその時鎌倉に越してきたばかりで、
何かと不安だったから
小学校が開放されてすぐに避難した。

私は夜に避難したんだけど、
その頃はまだ数人しかいなかった。
朝になると少しだけ人が増えてて、
私は体育館でお母さんに連れられてきた子どもと遊んでた。



その時、「何歳?」「元気ね」と話しかけてきたおばあさんがいた。
小柄でショートカット、
さっぱりとしていて綺麗な人だと思った。




子どもは別の部屋に行ったので、
私とおばあさんは、
誰もいない体育館でしばらくふたりで喋ってた。

おばあさんは、
逗子にある4万円代のアパートに住んでいることや、今着てる服は大船のリサイクルショップで200円で手に入れたことを教えてくれた。
ベージュのセーターの下に、茶色と白のボーダーのTシャツを着てた。
おしゃれで、素敵だった。




それから、おばあさんは私に新聞をくれた。
おばあさんは読み物が好きで、
新聞、週刊誌、小説、色々読むのだという。
特に時代小説と週刊文春をよく読むらしい。
その時文春の表紙を改めて見たけど、
「文春ってこんなにセンスのいい表紙なんだ」と驚いたのを覚えている。








夜になると、人がいっきに増えて
避難所はあっという間に満員に。


隣に毛布を並べて、
おばあさんは色んな話をしてくれた。


栃木の新聞社で働いていた時の話。
ゆで卵を作っていたことを忘れて外出して、
帰ってきたら、天井に卵が張り付いていた話。
大嫌いな上司のミスをかばった話。
旅館だと思って一人で予約した宿がラブホテルだった話。



名字は「さいとう」ということ。
メールアドレスを交換して、
そ台風が去ったら一緒に大船に行く約束をした。




私が、逗子の家に遊びに行きたいと言うと、
今住んでる部屋には、冷蔵庫と洗濯機しかないのだという。
理由は「去年、自分は来年死ぬと思ってた」から。
それからはあまり深く聞けなかった。





横になってさいとうさんの話を聞いているうちに
ウトウトしてきて、そのまま眠りについた。
さいとうさんが持ってきたポータブルラジオの音が
小さく流れていたのを覚えてる。









朝、台風は過ぎ去ってて、
ほとんどの人はすでに帰っていた。
私の上には毛布がたくさんかかっていた。
きっと、さいとうさんが持ってきてくれたんだと思う。


さいとうさん、と呼んでみたけど
起きそうになかったので先に帰ることにした。

起きたら一人なのは少し可哀相だなと思った。
けど、私もその日はバイトがあったので
置き手紙をして避難所を後にした。










それからしばらくして、
連絡を取り合って、予定通り大船に出かけた。
駅前のドラッグストアに、
100円の美味しいドーナツが売ってるとのこと。



おひとりさま2個までのドーナツを、
私もさいとうさんも2個ずつ買った。
さいとうさんはお店を出たらすぐ袋を開けて、
それを一緒に食べながら大船の街を歩いた。






さいとうさん行きつけのリサイクルショップに
連れて行ってもらった。
NPO法人が運営しているお店で、
売上は発展途上国に寄付されるんだとか。



私はブラウスを一枚と、バレッタをひとつ買った。
さいとうさんは、吟味して、何も買わなかった。





その後は、さいとうさんが通っていた病院に行った。
なぜ病院に行ったのかというと、
病院までのシャトルバスが無料だったから。笑

バスの中でさいとうさんは
マスクと、ゆで卵をくれた。
マスクは今でも何枚か残っている。




院内のローソンでお菓子を買って、
待合室のようなところでそれを食べた。

悪いことをしているような気分だった私は
「ここ、大丈夫なの?」と聞くと
「大丈夫。怒られないわ」と自信満々に言って
カバンから焼き鳥を取り出した。

家の近くの焼き鳥屋で買ったそう。
お肉が柔らかくて、美味しかった。





暗くなってきたのでシャトルバスに乗って大船へ戻り、駅で「じゃあまたね」と言って別れた。





その後すぐにさいとうさんからメールが来て
「あなたは柳腰だから着物が似合いそうね」
と言ってくれた。
別れた私の後ろ姿を見てそう思ったんだって。

お正月に着物を着る予定だったので、
写真を撮って送る約束をした。








12月、名古屋の生活にも慣れてきたことを報告したけど、返事はなかった。
電話もしてみたけど出なかった。
1月も2月も3月もメールを送ったけど
未だ、返事はない。




 
さいとうさん、お元気にしていますか。
世間は大変なことになってしまいましたが、
また鎌倉に戻ったときに会えたら嬉しいです。 




鎌倉でなくても、
またどこかで出会えることを願っています。